Midori SocietyPolitical & Social Analysis

市場が失敗するとき — 外部性・公共財・情報の非対称性

第5講までは、市場がうまくいく条件の話だった。第3講では価格が誰の指図もなしに情報を伝え、資源を配分するしくみを見た。だがあの結論は無条件に成り立つものではない。本講はその裏面を扱う。価格メカニズムが効率的な配分に届くために、そっと置かれていた前提は何だったのか。そしてその前提が崩れる場面はどこか。第3講が表なら、本講は同じ紙の裏である。

「失敗」という言葉が意味すること

市場の失敗とは、市場という制度が道徳的に悪いという意味ではない。第3講の結論には条件が要る。取引の影響が当事者の中に収まっていること、対価を払った者だけが便益を受け取れること、売り手と買い手が同じ情報を持っていること。これが欠けると、各人が合理的に振る舞っても社会全体として望ましい配分に届かない。市場の失敗とは、その条件の欠落を指す技術的な言葉である。

本講の四つの主題は、第3講が置いた前提のうちどれが崩れたかという一覧表である。

外部性 — ピグー税とコースの定理

外部性とは、取引の費用や便益が当事者以外の第三者に及ぶことをいう。工場の煤煙や夜間の騒音は近隣住民を害するが、その損害は製品の価格に入っていない。これが負の外部性である。逆に、予防接種は本人を守るだけでなく周囲への感染機会を減らす。教育や、養蜂家の蜂が隣の果樹園を受粉させることも同じだ。こうした正の外部性は放っておけば過少になる。

イギリスの経済学者アーサー・ピグーは1920年の著作で、これを私的費用と社会的費用の食い違いとして整理した。ずれているなら差額を税として上乗せすればよい。価格が本当の費用を語りはじめる。これがピグー税の発想である。

1960年、ロナルド・コースは論文「社会的費用の問題」で角度を変えた。煤煙の損害は、工場が排出することと住民がそこに住むことの両方があって初めて生じる。だから「どちらが加害者か」という問い自体が誤っている。権利の所在が明確で交渉に費用がかからないなら、権利を最初に誰へ割り当てても、当事者どうしの交渉は同じ効率的な結果に行き着く。これがコースの定理である。

現実の取引費用はゼロではない。コースの眼目は「交渉に任せろ」ではなく、問うべきは権利の割り当てと取引費用だ、という点にある。今日の炭素税はピグーの、排出量取引はコースの系譜に立つ。後者は排出する権利を明示的に作り、売買できる形にした。

公共財とフリーライダー問題

条件の二つ目が崩れるのが公共財である。一人が消費しても他人の取り分が減らない非競合性と、対価を払わない者を締め出せない非排除性の二つで定義される。

国防が典型だ。ある国民が守られても隣人の安全は減らないし、防衛費を払わない者だけ守らないという運用もできない。灯台や基礎研究も同じで、公表された定理は誰でも使える。

この二つが揃うとフリーライダー問題が生じる。誰もが「自分が払わなくても他の人が払うだろう」と考えるのが合理的になるからだ。全員がそう考えれば、供給はゼロか、ひどく足りない。公共財が過少供給になるのは、人が利己的だからというより、非排除性のもとでは代金を集める手段そのものが働かないからである。

共有資源と、オストロムの反証

非競合性はないが非排除性はある財が共有資源である。漁場の魚は、誰かが獲れば他の人の分が減るのに、締め出すのは難しい。

ギャレット・ハーディンは1968年の論文で、これを「共有地の悲劇」と呼んだ。共有の牧草地に各人が牛を増やす。利益は自分のものだが、牧草の減りは全員で分け合うので、各人には増やすことが合理的で、牧草地は枯れる。漁業資源の枯渇はこの構図そのものだ。彼の処方箋は、国有化か私有化かの二択だった。

ここに実地から反証を突きつけたのがエリノア・オストロムである。彼女はスイスの共同放牧地、日本の入会林野、スペインの灌漑組合といった事例を丹念に調べ、共同体が国家にも市場にも頼らず、自前の規則で共有資源を何百年も維持してきた例が数多いことを示した。続いている共同体には、境界を定め、規則を当事者自身が作り、違反を段階的に罰するという共通の設計原理があった。

オストロムが覆したのは、悲劇が起きるという観察ではない。国有化か私有化かという二択が、そもそも選択肢を取り違えていたという点である。彼女は2009年、女性として初めてノーベル経済学賞を受けた。

情報の非対称性 — レモン市場とシグナリング

三つ目の条件、売り手と買い手が同じ情報を持つという前提が崩れる場合を見よう。ジョージ・アカロフは1970年の論文で中古車市場を考えた。売り手は自分の車の質を知っているが、買い手は見分けられない。すると買い手が払えるのは平均的な質に見合う額だけになる。良質な車の持ち主にはその額は安すぎるので市場から引き上げる。残るのは粗悪品ばかりで、買い手はそれを見越してさらに値を下げる。この悪循環で市場が縮む。粗悪な中古車を指す俗語から、レモン市場という。質の悪いほうが残るこの選別が逆選択である。

射程は広い。医療保険では健康に不安のある人ほど加入したがるので保険料が上がり、健康な人が抜ける。雇用でも、応募者の能力は本人にしか分からない。

マイケル・スペンスはここに逃げ道を見た。情報を持つ側が、持たない側へ信号を送ればよい。学歴がその例である。能力の高い人ほど学位を取る苦労が小さいなら、学位そのものが能力の信号として働く。これがシグナリングである。学校で何を学んだかと無関係に、卒業した事実だけで信号は成立しうる。アカロフ、スペンス、スティグリッツは2001年にノーベル経済学賞を受けた。

最後に注意を一つ。市場の失敗を見つけたことは、政府が介入すべき理由の半分にしかならない。政府もまた情報の不足や利害に縛られ、介入がかえって事態を悪くすることもある。両方を突き合わせて初めて判断が立つ。政府の失敗の話は第9講で扱う。

市場の失敗
市場に任せると効率的な配分が達成されない状態。市場が道徳的に悪いという意味ではなく、効率が成り立つ前提条件が欠けているという技術的な指摘である。
外部性
取引の費用や便益が当事者以外の第三者に及ぶこと。負の外部性(煤煙、騒音)は過大に、正の外部性(予防接種、教育)は過少になる。
コースの定理
権利の所在が明確で取引費用がゼロなら、権利を誰に割り当てても当事者間の交渉が同じ効率的な結果に至るという命題。問うべきは加害者探しではなく権利の割り当てと取引費用だ、という含意を持つ。
公共財
非競合性(一人の消費が他人の取り分を減らさない)と非排除性(対価を払わない者を締め出せない)を併せ持つ財。国防、灯台、基礎研究。フリーライダー問題により市場では過少供給になる。
逆選択
売り手だけが質を知っているとき、買い手が平均的な質にしか払えないため良質な財が市場から退出し、粗悪品だけが残る現象。アカロフのレモン市場が原型で、保険や雇用にも及ぶ。
「市場の失敗」という言葉は、市場という制度への批判か。

批判ではない。第3講で見た効率性は、外部性がないこと、便益を対価の支払者に限れること、売り手と買い手の情報が対等であることといった条件のもとで成り立つ。市場の失敗とは、その条件が欠けた場面では各人が合理的に行動しても望ましい配分に届かない、という技術的な指摘である。市場が悪いのではなく、条件が揃っていない。

共有地の悲劇に対する処方箋は、国有化か私有化のどちらかしかないか。

その二択が誤りだった。ハーディンは1968年にそう整理したが、エリノア・オストロムは世界各地の共同放牧地、入会林野、灌漑組合を実地に調べ、共同体が国家にも市場にも頼らず自前の規則で共有資源を長期に維持してきた実例を数多く示した。境界の画定、当事者自身による規則作り、段階的な制裁、安価な紛争解決の場といった設計原理が共通していた。彼女は2009年にノーベル経済学賞を受けている。

中古車市場で、なぜ良質な車が売られなくなるのか。

買い手が質を見分けられないため、払えるのは平均的な質に見合う額に限られる。良質な車の持ち主にとってその額は安すぎるので市場から引き上げる。すると残る車の質が下がり、買い手はそれを見越してさらに値を下げ、良質な車がいっそう退出する。この悪循環が逆選択であり、アカロフが1970年にレモン市場として定式化した。

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